関東学院大学空手道部は男子だけの部ではありません、女子だって頑張っています。
関空会の名簿で数えた所29名のOGがいます。
初代OGは赤嶺OG、渡部OGです。
加藤聖三名誉会長は関東学院大学空手道部を創ったが、
この二人は関東学院大学女子空手の歴史を創りました。
何事にも初めの一歩があります。
関東学院大学の女子空手の初めの一歩は、
昭和60年台はじめ、大学空手道部は男子オンリー、女子が所属するなど殆ど聞いたことがなかった時代です。
関東学院も例外にもれず創部から30年ほど経っていましたが、女子の入部など聞いたことがありませんでした。
相変わらずのバンカラで学内の評判も悪く男子部員の数も大いに減らしていました。
まして女子部員の受け入れ態勢など全く出来ておらず、例 え女子の入部希望者がいても入れるなという時代です。
しかし時の流れは刻々と大学女子空手の誕生を促していました 。
沖縄と福島会津、出席番号順で一番最初の”あ”と終わりの”わ”のコンビ、普通では仲々接点が無い二人が
短大の寮で出会って、妙に馬があって友達になってしまったことから始まりました。
以下 創部50周年記念誌より抜粋です。
今から十八年前、私が短期大学に入学し間もない頃、
同期の渡部さんと何か興味を引くサークルはないものかと大学の体育館へ見学に行き、
出会ったのが空手道部の稽古風景でした。
しんと静まりかえった体育館内には、道着の衣擦れの音や気合だけが響 きわたり、
見ている私たちの心に何か訴えるものがあったのでした。
そのころ女子部員は一人もおりませんでしたが、その日のうちに入部を申し出、稽古が始まりました。
思い出されるのはやはり、厳しかった稽古のことです。
千本連続の前蹴りや突きは、半分を越えると手足がぶるぶると震えだして力が抜け、
なんとも情けない姿に、容赦なく先輩方の蹴りが入ったりしたものでした。
また野島へのランニングや箱根強行軍も今ではなつかしい思い出です。
そしてそれらの日々は、忍耐力や礼節を重んじる心を育む意義深いときとなっていました。
以下 創部50周年記念誌より抜粋です。
「恥ずかしくないか?」先輩の言葉で「ハッ」と我に返った。大会会場に向かう途中の山手線の車内での事。
1980年代後半、世はまさにバブルの真つ只中。世間では女子大生ブームが巻き起こり、
おニャン子クラブやお立ち台、ハマトラだのが流行し、私達短大生も例外ではなかった。
キャンパスは何時も華やかな学生達で光輝いていた。
その日は先輩方の試合を見学する為、私達女子部員も一緒に行動していた。
いつもの感覚で気にも留めていなかったが、そこは大都会東京駅。
しかも日頃からかなり着込んでいるお馴染みのジャージ姿。
何の事か気付くまでに少し時間がかかった。
当時の私はジャージ姿でどこへでも行ける「超」が付く程のイモ姉ちゃんだったと思う。
だから先輩の言葉を理解するには多少の時間が必要だった。
一緒にいる先輩も皆かなりの格好だったと思うのだけれど、
一応花も恥らう年頃の女性と言う事で、
気使ってくれたのだと思う。もしかしたら先輩の方が一緒に居るの恥ずかしかったのかもしれない。
とにかくお酒落などとは全く無縁だったけれど、自分としてはかなり充実した二年間でした」
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